應援團戦記

大学応援団の日々を綴るブログ…あなたの大切な思い出は何ですか?

走れ下級生

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下級生は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の職質を除かなければならぬと決意した。下級生には政治がわからぬ。下級生は、村の牧人である。太鼓を叩き、幹部と遊んで暮して来た。けれども理不尽に対しては、人一倍に敏感であった。

きょう夕方 下級生は多摩動物公園駅を出発し、野を越え山越え、十里はなれたのシンジュクの駅にやって来た。 

 

 

 新宿駅にて 

大学1年も終わろうとしていた3月 … 僕ら応援団は、ある卒業年度の同窓会に呼ばれ、会場へ向かう途中でした。

応援団は校歌や応援歌の披露を、様々な場所で依頼されます。言葉は悪いのですが 僅か15分程の出演時間の為に、僕らは八王子の山奥から団旗や太鼓を担いで、都心のパーティー会場へ赴く。

御祝儀で団費は潤うけれど、割を食うのは下級生。大学からの移動時間は片道2時間以上…23区内の応援団たちが本当にうらやましかった。特に年度末は同じ日に複数の場で招待され、慌ただしくハシゴ状態なんてことも多かった。

 

…その日も僕らは新宿で京王線を降りました。そしてJRの改札口へ移動する時に事件が起きました。

『 学生さんたち、ちょっといいかなぁ? 』

と声をかけてくる集団が。天下に冠たる△△大學應援團に立ち止まれとは …しかし気が付けば、僕らは鉄道警察隊のお巡りさん数名に囲まれていました。

 

僕はもちろん、先輩も何が起きたのか分かっていない。上級生は別行動なので、僕らは1・2年生のみの隊列です。

『 事情があって、大荷物の団体には職質と荷物検査をさせてもらっている 』

有無を言わさぬ口調でした。僕らは大学応援団だと申告したが、警官たちの意志は固い。ひと昔前の応援団なら、一戦始まっていたかもしれない…

 

 

 疑わしき我ら 

遂に我が団も、国家権力の注意を引くに至ろうとは …しかし事態は笑い事ではありませんでした。仕方なく僕らは言われるまま荷物を下ろす。太鼓、団バッグ( 応援団がよく背負っているジェラルミンケース )、団旗ポールを収めたケースが、地面に並べられました。僕らはいつものように新聞紙を敷き、その上に荷物を置く。神聖な器材は絶対にベタ置きしてはならないから。

 

お巡りさんの一人が新聞紙を手に取り、しげしげと見つめ始める。団バッグを荒っぽく漁られるのは、いい気分がしなかった。彼らの毒牙は止まる所を知らない。僕を指差し、

『 上着を脱いで持ち物を出しなさい 』

と言います。哀れ僕は学ランの上着を脱ぎ、ポケットの中身全てを大公開。まるで中学校の生徒指導でした。

灰皿2個、校章入りマッチ6箱、学ランの裏地に刺した安全ピン10本、白ハンカチ、大学手帳、万年筆、高幡不動の御守り…

 

『 こんなにマッチや安全ピンを持ち歩いて、何に使うんだい?』

 

マッチや灰皿は上級生の喫煙用です。“ 煙草の火付け ” は下級生の日常業務。でも丁寧な言葉遣いの裏にあるのは、興味ではなく 明らかな疑いでした。

大量に持ち歩くことにも理由がある。幹部の中には 自前のライターをどこかに置き忘れ、『 マッチを箱ごとよこせ 』なんてことも多かったから。加えて僕らは日常的に大量の汗や降雨にさらされ、湿気を吸ったマッチが着火不能なこともある。でも数があれば、そんな確率も減らせる( 1個ぐらいビニール袋に包むなんて知恵は皆無だった )

 

そして安全ピンは、学ランのボタンが弾け飛んだり、ほつれたりし時の応急用。やはり数があれば尚良し。決して凶器なんかじゃない。しかし警官隊から見れば、僕は歩く危険物。

 

 

 時勢の余波に 

大勢の通行人が、僕らを見て見ぬふりしながら通り過ぎて行く。悪事を働いた訳でもないのに、公衆の面前でこの仕打ちは恥ずかしい。ひとしきり説明し終えて、僕はようやく解放されました。その間にも先輩たちは尋問を受けていました。足止めされること約20分。

取り調べた警官隊長から、簡単なお詫びと協力への謝辞が告げられました。曰く、

『 地下鉄サ〇ン事件から1年の今日、再び新宿駅を狙った動きが起こるかもという情報があったから 』と。

 

僕が大学へ入学する直前、社会を震撼させる事件が起きました。事件発生の翌月には 新宿駅構内でも未遂事件が起きています。当時を知る世代の方々ならご記憶とは思いますが、駅の警戒は厳重を極めていました。

実際の事件では 新聞紙に包まれたビニール袋を破り、劇薬を散布させた経緯があったと聞きます。

“ 不審物を発見した場合は、お手を触れず駅係員に… ” そんなアナウンスが常態化したのも、あの事件以降だったと思う。

 

余談ですが 僕の姉が通う女子大でも、教団を擁護していた教授が辞職させられる事態が起きました。彼らが大学への報復攻撃を実行するのではと、両親が本気で心配していました。

 

…取調べ後、我々が急ぎ足で向かった事は言う間でもありません。

規律・礼節・時間厳守  団則は今日も言い訳を許さない。

我々の校歌を待っている人々がいる。

それは春の珍道中だった。