應援團戦記

大学応援団の日々を綴るブログ…あなたの大切な思い出は何ですか?

白門の系譜  - 幹部交代 -

 

幹部通告式

箱根駅伝の喧騒の中、僕らは大切な時間を迎えます。往路を終えた夜に行われる “ 幹部通告式 ” 。それは宿泊先の箱根小涌園の一室に 幹部と3年生が集まり、新年度の役職が告げられるものだった。正式な幹部交代式は1月中旬に行われ、4年生たちは引退となるのが慣例でした。

他の体育部では 全体の合議制で役職が決定されることもあるようですが、応援団では4年生たちに一任されています。

 

下級生時代は通告式がどんな様子なのかは、窺い知ることが出来ませんでした。当事者以外は部屋に近付くことが許されないからです。部屋から戻って来る3年生たちは、いずれも神妙な面持ち。いつもの口やかましさは消え失せている。真っ赤に目を腫らしているのはチアの先輩方。僕らはどこか遠い出来事のように、彼・彼女たちには思い極まるものがあるのだろうと思っていました。

 

 

もっとそばに 

3度目の箱根往路の夜、僕にもその時が来ました。呼ばれた部屋には 監督、幹部、それに数名のOB…全員寂として声なし。しかし居並ぶ面々は穏やかな表情をたたえている。

人数がいれば幹部の役職就任にも、条件や競合があったりします。僕はただ一人の3年リーダー部だったので、ある意味で機械的な団長拝命でした。だから重い響きの “ 団長 ” という単語にさえ、特別な感情を呼び起こされることはありませんでした。

自身の覚悟浅き故かもしれませんが、それ以上に目の前の日々で精一杯。先の事を想像する余裕なんざ無かった。

 

僕の横に座したチア同期たちの役職も発表され、監督から激励の言葉が告げられる…しっかり頼むと。そして団長から一言。

『 今までいろいろ怒って済まなかったな…もう何も言わないからな。

  団のことだけじゃなく、自分を大切に頑張れよ 』

その言葉を聞いた瞬間、流すことはないと思っていた涙が溢れてしまった。一人でずっと気負っていたものは、呆気なく見破られていたと分かりました。

下級生だった僕らが何かをやらかす度に、彼等が怒鳴られ 殴られているのを何度も見てきた。時には飲みに連れ出してくれたり、手加減ゼロで当たられたり。僕が不服な表情を浮かべていると、怒るどころか真摯に話を聞いてくれたこともあった。丸3年近くそばにいながら、僕は迷惑ばかりかけてきた。文字通り厳しさと優しさを併せ持った人たちだった。

 

団長になる感慨なんか微塵もなかった。目の前の先輩方が遠くに行ってしまうようで、ただ悲しかった。教えてもらうことがもっとあったはずなのに。

みっともないと分かっていても、嗚咽を止めることが出来ない。普段は疎遠だったチアの1人が、僕の肩に手を置いてくれた。“ 一緒に頑張ろう… ” そう言われた気がした。女々しい僕を前に向かせてくれたのは同期の彼女たちだった。

 

  

心の友 剣菱 

団の大事な場面では、必ず乾杯が行われる。この通告式でも 剣菱 の一升瓶が用意され、今や遅しと開封される時を待ち侘びていました。

僕らはOBや幹部たちから、代わる代わるコップ酒を注いでもらう。いつもなら一口で オエッ♡ となるはずなのに、この日はそれが来ないし、酔いも回らない。式の緊張もあったのでしょう。8杯目を飲み干したことを今も覚えています。ところがその後は前後不覚の状態に。以後の記憶は全くありません。

 

翌朝早く 僕は自室で目を覚ました。意識を失った僕は団長におんぶされて運ばれたことを、後輩から知らされました…前代未聞の不面目です。

箱根駅伝 復路応援の間は完全な二日酔い。移動バスの中でも、僕は1人ゲロ袋を手放せなかった。高熱と吐き気が激しく、幹部有終の晴れ姿に水を差してしまったと思う。今も大きな後悔だ。しかし飲めないからと、思い溢れた酒をためらっていたら、もっと大きな後悔を残していただろう。

 

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* 同世代の中大生なら、懐かしい景色かも… 平日の神宮帰り、僕らは校歌や応援歌を放歌高吟しつつこの坂を登った。

 

今日は1月12日。

十数年前、僕らが引退したその日です。

時間を経ても変わらないのは、胸を熱くさせた日々と仲間への感謝。

いまはそれぞれの場所で、それぞれに守るものがあるのだろう。

 

ありがとう。

何気ない日付にさえ意味を与えてくれる中央大学応援団を、僕は今も誇りに思う。