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應援團戦記

大学応援団の日々を綴るブログ…あなたの大切な思い出は何ですか?

ここはお江戸か 神田の町か

他大学応援団 所感・雑記

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* 中央大学駿河台校舎。1926年竣工。現在は跡地に記念館が整備され、往時の名残を留めている。

 

  “ 禁 忌 ” の歌

関東・関西を中心に、全国の大学応援団には 〇〇( 校名 )  なるものが広く流布しています。

いわゆる 近大節 です。ご存知の方も多いので説明不要でしょう。関東では 日大節 の名称の方が有名かもしれません。歴史的な経緯をひもとけば、 その名が示す通り関西の近畿大学が発祥だとか。戦後各地の大学応援団を経て、文化系サークルや高校応援団にも用いられたことは周知の通りです。

しかし今は近畿大学が正式に著作権を得たことを理由に、他大学では全面的な使用禁止となりました。10年程前のことです。彼らが何を求めた結果なのかは分かりませんが、非常に残念です。

僕たち応援団にも、中大節( または中央大学応援団節 )という形で戦後間もない頃から伝承されていました。

 

  関東名物数々あれど 数ある中の名物は 

  大江戸 八百八町にその名も高き 我等が中央

  いざ歌わんかな 舞わんかな 囃さんかな

  我等が 中央大学応援団節ぃ~ 

 

♪ ここはお江戸か 神田の町か 神田の町なら大学は中央 …

 

僕の大学版での口上は短いのですが、関東では “ 東に大利根 ”、“ 西に霊峰 ” といった前口上が入る大学が多いようです。

“ 近大で唄われ始めたこの曲は、当時 近大と姉妹関係にあった日大が使用許可を得て関東へ持ち込んだ。その歌いやすさから他大学にも伝わり、現在のような広がりを見せるようになった。時の日本大学応援団では、関東において公の場で正式使用ができるのは、自分たちのみであると言って憚らなかった ” 。

 

以上は僕が現役時代に聞いた話。法的権利が関わる可能性もありますので、この言われには一切の文献・サイト等の引用をしていないことを申し上げておきますね。

実際にネットで調べると、同様の情報がたくさん出てきます。またOBによれば、相撲部応援の際は各大学とも日大に遠慮して演じなかったと言います。決して実戦向きのリーダーとは思えないが…

 

個人的なことなのですが、僕が応援団に入ったと同時に弟(僕と双子で同い年)が、日大の合気道部へ入部しました。彼からも日大節の経緯を詳しく聞いていました。日大の体育連盟では応援団の解散・消滅後も熱心に応援練習が行われており、日大節は校歌と同格に近い扱いだったようです。その前口上や歌を聞かせてもらいましたが、僕らのものより厳密に構成された印象を受けました。

また、専修大学明治大学の歌い回しが日大に近いのでは?…ということも耳にしました。我が校を含めて、いずれも神田界隈にゆかり深き面々です。

 

僕ら応援団は、スポーツ以外にも多くの卒業生の集まりに出席します。その先々で、中大節が歌われることもしばしば。誰かの鼻歌交じりで始まり、いつしか大合唱になることも。

下級生だった頃の僕は、他大学からアレンジした歌を大切にすることに対してどこか懐疑的でした。正直に言えば、団節のリーダーもそれ程好きじゃなかったし。むしろ立派な校歌や応援歌の数々があるじゃないかと。

でも幸せそうに放歌する卒業生たち。そのきらきらした表情を忘れられません。今は無き旧駿河台校舎で過ごした日々。そこで過ごした方々のみぞ知る気持ちが、あの歌の中にあるのだと感じています。

あの歌を大事にしていたのは、ひとり近大だけじゃない。

 

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 * 現在の多摩キャンパスに復元された旧校舎の一部。春は桜が美しく、ここで新入団員たちと夜の花見をしたものだ。

 

記憶は奪えない 

幹部になった時、OB・OG会副会長のご自宅で語り明かしたことがあります。

『 …それはそれは空腹な時代だったけど、みんな歌うことが大好きな世の中だったんだよ。歌うことはお金もかからないしね 』

当時で齢70過ぎの方でした。焦土に立ちすくんだ敗戦後の虚脱や、未来への希望。そして高度経済成長へ。さまざまな感情をはらんだ世代間の学生たちが愛し、歌い継がれた学歌や応援歌。我が校の中大節もその一つ。数多くの大学で愛された事実なくして、近大節の威光もありえなかったでしょう。

 

近大応援部のHPには、わざわざ 著作権について と題した提起文が寄せられています。そこには営利目的だとか、盗作だとかキャッチーな単語が躍っています。無論、著作権を否定するつもりもありません。元をさかのぼれば、国運背負いし近大学徒兵へ手向けられた曲。あまりに苛烈な経緯には、僕如きが語るべき舌を持ち得ないことも承知しています。

 

関西圏の学生スポーツを支えた名門応援団。今少し胸襟広きところを見せて頂けないものかと考えてしまう。それこそが、近大ここにありを天下に示すものではないかと。

 

形あるものが姿を変えるのは世の常。

みなさんの先人が残してくれたものは、今も多くの人の記憶に生きています。