應援團戦記

大学応援団の日々を綴るブログ…あなたの大切な思い出は何ですか?

聖地、遥かなり  - 東都入替戦 -

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* 聖地に立つ。残された足跡はあまりに少ない。でも僕らは確かにそこにいたのだ。

 

 悲願はそこに 

大学3年、準幹部として迎えた春。我が校の野球部は遂に、東都2部 春季リーグ優勝 を果たしました。それは悲願の1部復帰への足掛かりとなるはずの優勝でした。僕らの感激たるや、およそ世間一般で表現される言葉では名状し難い。あえて言うなら、高校球児が甲子園初出場を叶えた以上の気持ちでした。

 

…東都をあまりご存知ない方から見れば、入替え戦や2部リーグなんぞ、弱小校の小競り合い程度にしか思われないかもしれません。でもその内実は、多数の甲子園経験者や野球の名門校出身者を擁する大学ばかり。我が校にもセンバツ甲子園優勝投手や、後に巨人軍の正捕手となる選手らがいました。個々の戦力だけを見れば、東都1部や六大上位校にも決して引けを取る訳ではありません。

入替え戦は神宮球場で行われます。2部優勝は僕ら応援団にとっても、8年振りに聖地での応援を実現してくれるものでした。

 

 

 【 いざ神宮球場へ 

優勝を喜んだのも束の間、僕らに一つの問題が浮上しました。それは誰も神宮球場での応援経験がないこと。僕らは第二球場のことしか分からない。そこに助け舟を出してくれたのが1部リーグの 修大学全学応援団 でした。

専修大学の仲間たちは、様々なアドバイスをくれました。広大な神宮球場での応援配置や機材搬入の経路、六大応援団連盟へのリーダー台の使用手続き等々…僕たちは感謝の言葉が見付からない。

ちなみに彼らとは、戦前の東都リーグ発足時からの仲。東京農業大学を含めた 専大・農大・中大 の3校応援団で、小さな連盟のような組織も持っています。

 

僕たちも座して助けを待つ訳じゃない。連日 学食や野外ステージを無断占拠しては、ゲリラ的なリーダー公開を敢行。試合への参集を一般学生に呼び掛けました。大学の名誉にかけて、空席ばかりのスタンドにはしたくなかった。

 

 

立ちはだかる東洋大学 

手探りで準備を進めた第1戦の日。我々の必死の呼びかけに応じたのは、数千の学生たち。中には “ 講義の一環 ” と称し、学生を連れ出しくれた先生方もいたようです。2部降格以来、団の倉庫で長年眠っていた配布用のメガホン1,000個も、すぐに底を突くという盛況ぶり。

神宮球場では試合前に、応援団がリーダー台の組み立てを行います。我々のスタンドでは、当時の幹部自らも下級生と一緒に作業をしていました。

『 勝てば秋季がある。自分たちでも組立て方を把握しておきたい 』

幹部たちもまた、並々ならぬ決意でこの日を待ち侘びていたのです。

 

対峙する 東洋大学 のスタンドは閑散としています。神宮球場での応援技術に関しては、彼らに一日の長がある。ですが客席を埋める我々との士気の差は歴然。僕らの背中には、大勢の一般学生と専修の仲間がいる。文字通りの大応援団。校歌斉唱に際しては、最前列で観戦に参じていた学長先生まで腕振りをしてくれました。今や戦機は熟せり … “ 中央の名よ 光あれ ” と。

 

結果から言えば、我が校に歓喜が訪れることはありませんでした。試合序盤こそ互角に渡り合ったもの、相手はさすがに1部常連校だった。この二日間で何度も聴いた東洋大の校歌。不倶戴天の敵の凱歌に、全身の血が沸騰する感覚を覚えました。

しかし本当に悔しさを滲ませたのは、野球部の面々。試合を終え、スタンドに繰り返し深々と頭を下げる選手たち。中にはがっくりと両膝を突いたまま、立ち上がれない選手もいました。淡々とプレーしているように見える彼らにだって感情がある。2部リーグと知った上で入学する時は、それぞれが神宮球場で躍動する姿を思い描いたことでしょう。夢を見たのは、応援団員だけのはずがない。

 

僕らは応援することは出来ても、実際に戦うのは選手たちです。応援団は他人の努力の上に檜舞台を与えられているに過ぎない。その努力に応えられるだけの自分たちであっただろうか。1部リーグや六大への羨望は拭えないけど、声援を送る者の在り方を考えさせられた戦いでした。

 

 

 【 ポケットの中の栄光 

1枚の記念写真すら残っていない聖地の試合。多くの人に助けられての応援だったから、ヘラヘラ写真撮影する余裕など湧いてこなかった。翌朝 自宅に届いた朝刊の切り抜きと、野球部から事前に用意された “ 入替戦 ” のハンコが押された入場券だけが、僕の手に残されました。小さな小さな紙切れ。しみったれた思い出の破片かもしれないけど、それを今日まで後生大事にしてきました。イニングに刻まれた数字一つ一つに宿る重みと祈り。それを知る者は今僅か。

幹部として迎えた翌年は春・秋ともに2位。振り返れば たった二日間の栄光でした。それでも僕らは聖地に団旗を掲げた。ずっと胸を焦がし続けた神宮球場。結果だけを伝える小さな新聞記事と入場券は、今もあざやかな香りと熱を僕に放っている。そこに感じるのは敗者でも勝者でもない。

 

もしこの一文を見る君が、東都下部リーグや スポーツが強くない大学の応援団員だとしても、どうか試合を出来レースと諦めないで欲しい。そして上っ面の華々しさだけに目を奪われないで。記録や数字だけが 応援の価値なんかじゃない。

あれから幾星霜。母校は東都1部に定着して久しい。隔世の感と共に、晴れ舞台を与えてもらった感謝を僕は決して忘れないだろう。