應援團戦記

大学応援団の日々を綴るブログ…あなたの大切な思い出は何ですか?

敗戦を背負う  - 野球応援 3 -

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 もっと熱くなれ 

この日も快晴。陽射しはイニングを追って 強さを増します。コンクリートのスタンドからの放熱もきつい。頭上と足元の両面から僕たちは焦がされています。

毎日毎日、鉄板の上で焼かれている “ 泳げ たい◯き君 ” の気持ちを追体験。彼と僕らの違う点は、いやになったり、けんかして海に逃げ込んだりする訳にはいかない ことぐらい

 

クソ暑い日に全身真っ黒な服装で汗をかきかき大声で怒鳴るんだから、この集団はやっぱりどうかしている。夏場に見る高校野球の応援団は、本当に偉いと思います。

 

さて、大学野球の試合は応援順序がほぼ決まっています。

 1回 校歌 / エール交換  3回 応援歌

 7回 校歌  9回 校歌 / エール交換

 

恐らく他大や高校応援団でも同様だと思います。でも僕ら下級生が試合中に最も気を張る時間があった。それは5回終了時。グラウンド整備の間に行われる整列集合でした。

この時間、僕らリーダー部は 『 出るぞ! オス! 出ろ!』の掛け声でスタンド通路の一角に駆け出す。優位な試合展開ならいいのですが、劣勢の場合は大変。幹部の機嫌が悪くなるから。

『 お前ら、勝たせる気があんのか!』とか『 敗色濃厚じゃねーか 』

などと檄が飛び、胸をど突かれる。不思議な感じですが、重苦しい投手戦の時は静かな集合で終わることが多かったように思います。

 

幹部たちはそれぞれ目に見えない役割( 性格 )があって、怒りをぶちまけるタイプ、寡黙沈着型、行き過ぎをさりげなく抑えるタイプ等がいました。ですが大量リードを奪われていようものなら、幹部の怒りは誰にも止められない。特に “ 寡黙型 ” 幹部が感情を露わにすると手に負えない。

 

 

 球場外の延長戦 

試合を終えると、僕らは全員で球場の外に整列。幹部から訓示や指導が行われます。勝利すれば笑顔さえ見せる幹部だが、敗戦時は下級生たちを苦しめるものでした。

 

最も多かったご褒美は拳立て。埃っぽい球場回廊に這いつくばり、みんなで声を揃えてカウントする。拳立て中に勝利校の応援団や、第2試合の応援団が通りかかると、幹部の指導もヒートアップ。神宮球場の外周を

〇〇 (大学名)~ 、とぉ、オス! とぉ、オス! とぉオース!! 

と言いながら延々走らされることも頻繁にあった。

 

当時の僕らは東都2部リーグ。遠い遠い星のように思っていた神宮球場を身近に感じる時間でした。恥かしさや惨めさなど寸毫も感じなかった。東都1部や、月曜日の六大学応援団たちには、敗戦後の僕らは、文字通り場違いな迷惑集団だっただろう。

 

 

敗戦を糧に 

僕にとって初めての神宮は、初めての敗戦でした。

団員とは言え、僕らは新人。まだまだ団のことは分かっていない。ですが幹部の機嫌の悪さは理解できる。2、3年生の雰囲気が一変するからです。

団長が次戦での必勝を期する旨を告げた後、副団長が ボソボソっと何事かを3年生に指示します。

その刹那、 拳立てヨーイ!の号令がかかりました。

早速始めた僕らですが、すぐに『 1年は止めぇ!』と。

 

後は延々と 2、3年生が苦悶する様子を見ていました。そんな僕らのすぐ横を、野球部のスタンド観戦組がいそいそとバスに乗り込んで行く。少数ですが、足を止めて僕らを見つめる補欠選手も。

目の前には僕ら下級生に代わって、団としての任務を果たせなかった制裁を受ける上級生たち。一緒になって拳立てをやれたなら、或いは自分たちが殴られるのなら、まだ気持ちは軽くなったかもしれない。今はそれすらも許されず…

 

母校を勝利へ導くのが我々の務め。それが叶わなかった。勝敗の重みを、否応なく理解せざるを得なかった。それに引き替え、怒られることばかり心配していた僕の小ささ…

 

日頃は僕らを牛耳る3年生に目をやると、2年生を鼓舞しながら大声で拳立てのカウントをしている。この人達のようになりたいと本気で思った。

ありがちな反省や無力感とは違う気持ちが、自分の中に湧いてくるのを感じていました。忘れられない野球デビュー戦でした。