應援團戦記

大学応援団の日々を綴るブログ…あなたの大切な思い出は何ですか?

神宮の花とならん  - 野球応援 2 -

 

 戦雲にエールを 

その日、僕は初めて野球応援の場に立ちました。

対戦校は今なお学生野球トップクラスに君臨する 亜細亜大学相手にとって不足無しです。

 

準備が整った僕らは、客席後方の通路に整列待機。旗手もすでにスタンバイ済み。はやる気持ちを抑えながら、座ぶとん上の幹部たちの一挙手一投足を注視しています。

試合直前の球場は、どこか重苦しさに支配される。静けさの中、選手ベンチの話声や周囲の音が聞こえてくる…そして首の後ろがじりじりする。

この独特の空気感は、僕が幹部になった時にさえ感じ続けました。下級生時代には、あまり心地の良いものではありませんでした。

 

…張り詰めた空気を破るように、副団長の右手が上がる。スタンド配置に入れの合図です。それに呼応して3年生の号令一下、所定の配置へ全速力で突入します。

『 2列整列! オース! 失礼します! 入るぞ! オス 入れ! オス! 

 

僕らを待っていたかの様に大団旗が上がり、旗の裾がはらりと地面を払う。一度は垂直に屹立したポールが、「 ぎっ 」ときしみ 少しだけ前方にしなる。その様子は何度見ても美しい。

この瞬間を おかず にできるものなら、僕はご飯8杯は食べられる自信があります

 

三塁側相手校の先攻で校歌斉唱が始まりました。初めて聴く他大学の校歌。敵ながら戦意十分。

そして相手スタンドから送られた我が校の名前が、僕の耳にも届きました。敵応援団のはずなのに、心から感動しました。僕らはずっと誰かを応援をする練習をしていても、エールを送られたことは無かったから。

声援を送られる人の心に、初めて触れた気がしました。全力で答礼のエールをしたことは言う間でもありません。

 

彼らも僕らも、思いは同じ。神宮の花なのだと。

初めてのエール交換は、正にスポーツマンシップの威風だった。

 

 

 新入団員のひとり言 

初陣のレガッタ応援とは異なり、応援そのものに戸惑うことはありませんでした。野球応援は、基本的に各イニングの攻撃時が中心です。緊張は抜けないものの、攻守のメリハリがある。

幹部たちは常に最良と思われるパターンを選択して指示を出す。試合の展開を掴めるか否かで、応援の舵取りはだいぶ変わってくる。団員もチャンスになれば力が湧くし、ピンチとなれば祈るような気持ちで声を張り上げます。

 

しかし僕らは消耗が早い。スタンド前列にいる上級生たちからは、僕らの動きは手に取るように分かるのでしょう。流れに身を任せた誤魔化しの応援は通用しない。

「 手ぇ抜くんじゃねー」「 拍手を揃えろ!」

いつもの声が飛び交う。

今や必死になることしか出来ない。これが練習なのか実戦なのか、分からなくなってしまう。

 

 

神宮の洗礼 

スタンドには僕らと同じ新入生の一般学生もいました。物見遊山で女の子と野球観戦する者もいる。僕らだって虎の子の様にかわいがられた日々もあったはずなのに…。いつかTVで見た、やられ役のような応援団下級生の姿。それが僕たちでした。

 

『 校歌すら覚えようとしない奴らの娯楽に終わらせてなるものか… 』

試合前半はまだ、そう思っていました。しかし案の定、僕ら1年坊の未熟さは見え見えに。入団間もない僕らは、体力もガッツも不十分なまま。無理もありません。消耗の度合いは見た目にも表れます。

 

個人差はありますが、応援の流れから脱落しかける者も現れる。こうなると試合内容なんかどうでも良くなる。下級生には 先輩方からの物理的ショック療法 が施されたり、試合よ 早く終われと願う症候群 も起こり得ます。

後者に至っては団にあるまじき末期症状。自分でも最低極まりない表現だと思います。

 

しかし駆け出しの下級生はまだまだ人の子。精神論だけでは責められない。それを表に出してしまうかどうかが大切だったりしますが…

 

 “ 神宮の花 ” はいまだ遠く…試合は後半に向かいます。