應援團戦記

大学応援団の日々を綴るブログ…あなたの大切な思い出は何ですか?

単位を我等に  - 後期試験 -

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* 見慣れた教室。どの教室も同じ椅子、そして同じ座り心地でした。 

 

学生の本分 

学生時代のことを綴るブログなので、柄にもなく勉強の話題に触れたいと思います。

 

僕の専攻は社会学でした。少しカタい表現をすると、社会で起こるさまざまな出来事を客観的な視野で分析し、その生成過程や人間社会への影響をさぐるというものです。

その本格的な始まりは 19世紀中盤。ヨーロッパではウィーン体制の弱体化や産業革命が進み、旧来的な社会秩序が大きく揺れ動いていました。社会の変動を理論化して説明できないものか…そんな機運の下、独仏を中心に体系化された学問領域が社会学です。

 

出欠確認が厳しい学科でしたので、東都リーグ戦たけなわの時期は、 先生方の顔色を窺いながら過ごしました。科目の時間割も出来るだけ 月・火( 東都2部リーグの試合日 )を避けて選んでいました。法学部や経済学部の様な大人数の専攻課程と異なり、少人数での講義も多い。特に数名でのグループ研究の際は仲間に申し訳なく、はみ子よろしき非常に肩身の狭い思いでした。

みんな、ごめんね ごめんね … (ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)

 

 

社会統計学 

大学の冬休みが明けた1月、応援団員も学生らしい時期を過ごします。箱根駅伝の戦塵も払う暇もなく、僕らは後期試験の準備をしなければならない。とは言っても…用意周到な学友たちはいいが、僕は普段の遅れを取り戻すべく超必死。必要とあらば ガリ勉くんと小馬鹿にしていた者に頭を下げ、 半ば強引に ノートをコピーさせてもらうこともありました。

 

とりわけ思い出深いのは、1年次の必修科目だった 社会統計学。出欠を取らない事をこれ幸いとばかりに、この講義にほとんど出席していなかった。試験日を前にノートのコピーを見てもさっぱり。

挙句の果てに、僕は高校時代に数学の授業を1年間しか受けていない。暗記や論述なら何とかなるが、数字を扱う分野は今も昔も大嫌い。

重回帰分析や標準偏差といった言葉が散りばめられたノートは、地球外の惑星言語にしか見えませんでした。

 

悩み抜いた末、僕は同じ学部だった親衛隊の先輩より伝授された方法を用いました。そんなアホな手口が…と思われる方法でしたが、他に為す術はない。そして試験の日…

 

 

模範解答 

統計学の試験は設問が3つ。いずれも付け焼刃の勉強で手に負えるものではありませんでした。氏名を記入した後は回答欄に、応援団員は多忙であることや、先生の熱意にもかかわらず 不勉強な自分を詫びる言葉 を長々と書き連ねました。

それから我等が大学の 校歌1~3番の歌詞 を記します。最後の隠し味に、

 

陸上競技部の 木監督より、箱根駅伝優勝は君のおかげだ と言われたことに、限りない感激を覚えました。

しかし来年度からは、団員として母校の名を汚すことなく学業研鑽を誓う所存で御座居ます …  』

 

末輩の最下級生が、陸上部の監督から賛辞などもらえるはずがない。ですが箱根駅伝優勝に大学が沸き返っていた冬です。それは誰もが認める錦の御旗。そして心にもない向学への誓い…

試験中にさらさらとシャーペンを走らせる優等生たちの存在は、とかく周囲の者を焦らせる。筆記する音だけなら、僕も優等生組に伍していたはずです。

 

かくして僕は、無事に社会統計学の単位を取得。最低ラインとは言え、成績表に燦然と煌めく “ C ” に胸をなで下ろしました。真っ当に試験を受けて単位を逃した友人もいたことを思えば、大金星です。

『 しょうがない奴め…』成績表には、教授の思いが見え隠れしていた。当時も大学生の学力低下が懸念されていた頃です。僕もその片棒を担いでいたことは否定できません。

ですが後顧の憂い無き応援活動は、このような厚顔無恥な努力に支えられていました。

 

この場を借りて過ぎし日の御礼を。

先生、僕の卒業証書の半分はあなたの温情で出来ています。