應援團戦記

大学応援団の日々を綴るブログ…あなたの大切な思い出は何ですか?

緑の精鋭  - 東京農業大学 -

f:id:ina_1992:20161207134338p:plain

* 全日本学生応援団連盟本部記念祭にて、筆者の父が撮影。同期多数が写っている。大人数の農大は圧巻だった。 

 

 日本一の応援団 

『 どこの大学応援団が日本一だと思うか? 』という質問をぶつけられたことがあります。あるTV番組の取材でした。愚問も甚だしい…僕は険しい表情を作りながら、

『 どの大学も、我こそは日本一の気概でやっているはずです 』

と答えました。もちろんその部分は編集カット、我ながら気の利かない男です。だがしかし…僕の胸に去来する大学がありました。

その名は 東京農業大学 全学応援団 。

 

農大と我が校は戦前からの付き合い。神宮第二球場では、ほぼ毎週顔を合わせていました。その他にも 相撲、ボクシング、レスリング、箱根駅伝全日本大学女子駅伝、連盟祭…etc 僕らの行く先々に農大がいる。彼らを意識しない理由なぞありませんでした。

農大応援団の特徴は、青山ほとり( 大根踊り ) を始めとした多彩な集団リーダー。僕は彼らの “ 団結節 ” を生で見た時、感動で本当に胸が震えた。複雑な動作の統制は、相当な練習量が求められる。応援中の彼らの背中に、日々の厳しい鍛練が浮かぶようだった。会えばお互いにバカ話をする間柄でしたが、その姿は脅威でもあり、頼もしきライバルでもありました。

 

…忘れ難きは大学4年の秋、農大同期たちの神宮最終戦。僕は 専修大学 の幹部たちと共に、農大側のスタンドにいました。農・専・中 の3校連合で高らかに歌った農大学歌と大根踊りは、我々の結束そのもの。彼らの団室には今でも、その日僕が撮影した写真がアルバムに収められているはずです。

 

 

 【 盟友の願い 

そんな僕らにも、引退の時は刻々と迫りつつありました。願わくば3校揃って箱根駅伝で幕引きを迎えたい。

…ちなみに箱根駅伝本戦の応援場所は、出場校が集まる 応援団会議 で決定します。古くからの慣例で、常連校の配置は毎年決まっていました。スタート・ゴールに一番近い場所には、農大、専修、中央。我が校と農大が隣接し( 往路と復路で左右入れ替わる )、道路を挟んで真向かいに専修。神宮球場でこそ東京六大学主導の管理ですが、箱根では我々3校が優先権を握っていたからです。

 

しかし農大と専修を待っていたのは 予選会敗退の涙。彼らは11月の連盟祭が、事実上の花道に。我が校だけで寂しく箱根駅伝を迎えんとする中、僕は農大団長から驚くべき申し出を受けました。

『 農大の応援場所だったスペースに、他の団が布陣するのは忍びない…無理は承知だが、お前らで2校分確保してもらえないだろうか? 』

 

要は農大分も押え、長年の聖地を不可侵のものとして欲しいとの事。団長の彼は、群馬の農大二高から応援団一筋…気持ちは察して余りある。さらに話を聞かせてもらうと、農大OB・OG会の強い意向が働いていたようです…そして我々中大に白羽の矢が立てられたと言う。

無茶振りは覚悟の上、僕はこの話を引き受ける事にしました。無謀にしか見えない難題実現に、どう立ち向かえばいいか? 電車の中で、講義を受ける教室で、応援の試合中で…悩む日々が続きました。とにかく応援団会議で直談判するしかない。

 

 

 激論の末に 

12月上旬、代々木陸上競技場の一室で応援団会議が行われました。席上、関東学生陸連の方が業務的に進行役を務めます。我が校も定位置が決定。それと同時に、僕は単刀直入に切り出しました。

『 我が校は例年、一般卒業生 1,000名以上が集まり、応援活動と安全な人通りの両立が、非常に困難となる。ついては今大会に限り、旧農大場所と2校分を頂きたい 』

 

農大の場所を守るには、相応な大義名分が必要です。何が何でも2校分のスペースを持ち帰らなきゃならない。混雑は事実でしたが、人数云々はもちろん出任せ。後は理詰めの一手。全日本学生応援団連盟の参加校の中には、すぐに事情を察した者もいたでしょう。アホな事を言ってらぁ…と白ける大学応援団も多く、反対の挙手はありませんでした。

面倒事を良しとしない陸連も『 そこまでの状況ならば… 』と、我々に傾きかける。ところが空白の農大の場所は一等地。そこに是非とも入りたいと、恐る恐る食い付いてきた大学があった。

 

その大学は正規の応援団を持たない。寄せ集めが如きがこしゃくなッ…と。本当にごめんなさい。半分ならどうか? という陸連の折衷案にも、僕は譲らず。ハナから応援場所が欲しくて言い出した事じゃない。奢った物言いですが、1c㎡たりともくれてやる気はなかった。

…話し合う事3時間以上。最終的には陸連役員の決定で、農大の場所は 某大学の手中に落ちることに。

 

 

 義約を果たさん 

出場しない農大の場所確保。正気の沙汰じゃないことは分かっていました。一歩間違えば、自分たちの応援許可に関わることも。数日後、応援団連盟の忘年会で農大団長と話しました。人前では絶対に頭を下げない上州男児。その彼が、

『 …最後の最後まで粘ってくれらしいな…本当にありがとう 』と。

彼らしい力強い眼差しでした。僕は不調に終わった結果だけを伝えていたのですが、会議に参加した連盟校から 当日の様子を聞いたとの事。

 

…引退戦の箱根駅伝。我が校の団旗の下には、僕らと共に声援を送る農大同期たちの姿があった。仲間への義理を尽くそうとしたのは僕なんかではなく、むしろ彼らだった。その光景に、今も気持ちが溢れそうになります。

願った形とは違ったかもしれないけれど、僕らは同じ日に、同じ場所に立ち、学ランを脱いだ。傍目には破廉恥な主張に映っただろう。でも僕の心を満たしていたのは、感謝と清々しさだけだった。

 

f:id:ina_1992:20161213185212p:plain

* 【 同期の面々】右から 農大 団長、専修 副団長、専修 リーダー長、不明(ごめんなさい)、専修 団長 

モノクロのプリクラの為、やや不鮮明 … 11月の寒い夜だった。筆者ら数名が枠に入りきらず、べろべろになった彼らを外で待っていたのを覚えています。