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應援團戦記

大学応援団の日々を綴るブログ…あなたの大切な思い出は何ですか?

時には昔の話を  - 伊奈学園 -

 

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* 写真:校歌斉唱中…現役時代の筆者です。

 

 伊奈学園応援団との出会い 

人生では 何かを始めるきっかけとなる出来事や、心を動かされる人との出会いが誰にでもあるでしょう。僕にもそんな人がいます。高校時代、3年間同じクラスだった応援団のK山くん。彼がいなかったら、僕の大学生活や 現在の生き方はだいぶ違ったものになっていたと思います。

 

僕が応援団を初めて見たのは高校1年の時。応援をする部であることは漠然と分かっていても、特段何かを感じる訳ではありませんでした。ただ連日遅くまで残り、激しい練習を重ねていることは 学校の誰もが知っていました。見方が一変したのは、夏の高校野球 埼玉県予選を見に行った日の事。

その年の母校伊奈学園は快進撃を続け、決勝戦まで進みました。新聞部員だった僕も、取材という立場で6試合の球場に。そして衝撃を受けました。

全身汗まみれになって、ひたすら声を上げている応援団。K山くんも、クラスとは全く別人の表情でした。空を圧する団旗の大きさ、精密機械のような動き見せる華麗なリーダー、血しぶき鮮やかな太鼓の打面、全てがカッコ良かった。他校でよく見かける " 体育祭や生徒会有志の応援団 " なんか遠く遠く及ばない。この姿を見て奮起しない選手があろうかと。男らしさという言葉は、この集団のためにあるのだとさえ感じました。そこにクラスメートがいることが、何故だかとても誇らしくて。彼らの技量の裏には、明治大学の応援指導を承けていたことも後になって知りました。

 

…大学入学後の話ですが、僕は同期だった空手部主将と4年間親しくさせてもらいました。彼は僕と同じ埼玉男児で、高校時代は県立松山高校の野球部キャプテン。硬派な応援団で知られる文武両道の伝統校です。そんな彼をして『 伊奈学園の応援団は、凄まじい迫力で有名だったぜ 』 と言わしめるほど。

いま僕が思い出しても、伊奈学園応援団は大学レベルに比して遜色ないものだったと思います。

 

高校当時、僕は勉強とバイトの日々。部活に励む周囲が羨ましく、いつもモヤモヤ。打ち込めるものが欲しかった。

感動の夏からしばらく経ったある時、TVで大学応援団の番組を観ました。厳しい練習にめげず、学ランと規律に殉じる日常。僕の心はまたしても感動の渦。それは無軌道だった僕を動かすには充分な威力でした。高校生活も半分を終えようとしていた時のことです。必ず大学で応援団に入ろう、自分が感動できることの為に時間を使おう決めました。クラスメートやTVの影響で自身の方向性をあっさりと決めたのは、僕の根が単純だったからかもしれません。

 

 

放課後のリーダー公開 

受験を目前に控えた高3の12月、深く印象に残ることがありました。

放課後の教室では多くのクラスメートが居残って、参考書やノートと睨みあっています。団を引退したK山くんも連日猛勉強をしていました。外では冬の夕闇の向こうに、応援団のブラス練習がかすかに聞こえています。

その数曲目にさしかかった時、K山くんが突然 窓辺に歩み寄りました。そして曲に合わせて無言のリーダーを始めました … 応援団素人だった僕にも、伝わるものがありました。それは気迫に満ちた切れ味抜群のリーダーだと。

曲が終わると何事もなかったかのように、再び自分の机へ … 君は覚えているだろうか。

 

そんなK山くんから、ほんの少しですが大学応援団の話を聞かせてもらったことがあります。彼が目指すのは日本一を謳われる 明治大学応援団紫紺の集い や 東京六大学応援団連盟 の話などは、何も知らない僕には驚くことばかり。余談ですが埼玉にも、六校応援団連盟なるもの( 僕の高校は無関係ですが )があることも教えてくれました。

彼がどれだけ頑張ってきたのかを思えば、「 俺、大学で応援団に入りたいんだ 」なんて軽々しく言い出せなかったけど。

 

やがて受験を迎え、僕は応援団のある大学だけを選んで受けました。死ぬほど勉強して自信は十分。結果は第3志望だったことが、入学式の日まで気持ちに影を落としました。僕を含めて私大生ばかり三人姉弟。裕福とは縁遠い家庭の都合もあり、浪人はさせてもらえませんでした。けれど これが最良の結果だったと今は心から思えます。僕は母校を愛しているから。

 

…話は2年半後に続きます。