應援團戦記

大学応援団の日々を綴るブログ…あなたの大切な思い出は何ですか?

初陣に吹く熱風  - レガッタ応援 -

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漕艇部対校戦

応援団の活動といえば 何を想像されますか? 大半の方が野球部の応援を挙げると思います。僕もそうでした。

 『 いやいや、レスリング、相撲、バスケ、アイスホッケー、駅伝、ボクシングなんぞも行くでしょ 』

そう思ったあなたは、大学応援団の経験者かもしれませんね。

 

…4月下旬ともなるとお客様扱いは過去の話。練習も厳しさを増すようになった頃、応援デビュー戦を告げられました。思いもよらない 漕艇部の応援 だという。漕艇と言えば春先の早慶レガッタが有名ですが、この試合は大学4校の定期対校戦。少し白状するなら、他大の応援団が来たらエール交換もできるんじゃないかと、遠足気分すらあったと思います。

 

当日、会場は埼玉の戸田漕艇場。ここは幾つもの大学ボート部の艇庫が林立しています。浦和に住んでいた僕にとって、自宅から電車で約20分の場所でした。地元で初陣を飾るなんて幸せ者です。

しかし…早朝からはるばる大学の団室へ行き、怒鳴られながら重い荷物を背負って 戸田公園駅に着いた頃には、複雑な気分になったことを覚えています。

今思えば己の覚悟の甘さでした。

 

 

 初見参の灼熱 】 

緑の広がる土手に、青い空。応援日和です。漕艇場の水際からわずか3m程の場所に我々は布陣しました。そして太陽が高くなった頃、我々の戦いは幕を開けました。

 

旗手の掛け声と共に12畳大の団旗がひるがえります。紫紺に白地で染め抜かれた校章を目にすると、嫌が応にも闘志が湧く。吹きつける強風も初陣を演出してくれました。高校時代に感動した応援団…遂にその晴れ舞台に立ったのだと思うと、妙な感じもしました。

あいにく応援団は僕達のみ。憧れのエール交換はかなわなかった。団長の校歌、副団長による応援歌に始まり、時間と共に応援は熱気を帯びてゆく。

 

僕らがいるのは選手たちのスタート地点から 300m以上離れた場所です。豆粒のような4艇が一斉に発進しても、どれが我が校なのか判別はできません。

さらに種目によっては、ゴールは応援場所から 1,000m以上先だったりもする。場内放送を頼りに、ほとんど見えない選手たちへ声援を送る … 応援をしているという実感はありませんでした。

 

僕ら下級生にできるのは、ひたすらメインリーダーの動きを追い続けることだけ。数レース繰り返す中、上腕が徐々に悲鳴を上げ始め、声もかすれてくる。

学ランでの応援はこの日が初めて。汗を吸った学ランがこれ程重く、体力を奪うものだとは知りませんでした。

 

気が付けば風向きも変わり、川べりの土草のにおいが顔をなでる…何とも言えない気持ち悪さや吐き気が突き上げてきます。初夏近い陽光も僕らを容赦しない。背中が尋常ならざる温度を記録しているのが分かります。身体中が熱い。そして猛烈に喉が渇く。

「 先輩、喉が渇きまちた 」

などと口がさけても言えるはずない。今や応援どころじゃない。眼前に広がる濃緑色の水までうらめしく思えてくる。

漕艇場沿いを散歩していたおばちゃん2人組が、タオルで顔を拭きながらペットボトルのお茶を飲んでいるのがやけに気になる。応援中でなかったら、本当に奪い取っていたかもしれません。

 

 

男は涙を見せぬもの 

実戦は練習での想像を超えた強烈な経験でした。恐るるべきは先輩方の罵声や修正だけじゃない、陽射しや風といった大自然の猛威( 大袈裟だが本気で思った )も僕らを苦しめます。

 

大会終了の校歌を終えた時には、安っぽい安堵感だけが残りました。そんな僕らの気持ちを、先輩連中は見抜いていたのでしょう。試合後に2、3年生からボコボコにやられました。勧誘時にはあんなに優しかった先輩方が、

「 応援をなめてんじゃねー 」 と。

その通りでした。自分の駄目さ加減を いやと言うほど思い知った初陣。前日までは 来るなら来いの意気だったのに。夢に描いた感動なんぞは、遠い世界の出来事でした。団室に戻り機材を片付ける同期たちは、みんな無口のまま…

 

全てを終えて家路につく時、駅のホームでこみ上げるものがありました。朝からど突かれ、怒鳴られ続け、1日の終わりに与えられたのは疲労と挫折感。

こんな辛いことを卒業まで続けられるのか? 明日から私服の学生生活になったら、周囲はどんな目で見るだろう?

 

僕は大学で打ち込めるものを見つけた気になり、浮かれていただけなのだと初めて気付きました。恥ずかしい話ですが、応援団を辞めることも真剣に考えました。

…涙と鼻水がぼたぼた止まらない。電車を何本も見送っては、トイレで顔を洗わなければなりませんでした。

 

敗残兵のようになって帰宅した夜、生まれて初めて血尿を見ました。コカ・コーラみたいな色のやつが大量に出てきました。打ちのめされ、感じるものを得られた1日でした。

 

 

後日、大学の学食を貸し切って入団式が行われました。

同期入団はリーダー部4名、チアリーダー部6名。当時の全団員約 60名、部長先生や監督が見守る中、僕らは晴れて正式に入団を許されたのでした。