読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

應援團戦記

大学応援団の日々を綴るブログ…あなたの大切な思い出は何ですか?

感激と悲哀の狭間で  - 相撲応援 2 -

戦いの記録

 

f:id:ina_1992:20160704213302j:plain

 

 国歌の下に 

さあ、本番を迎えました。ここは両国国技館。開場前の国技館前広場では、各校応援団が集まりつつあります。運営スタッフやお客さんのざわめきにまじって、『 オスっ!』とか『 ちわーっ!』という声があちこちで響きます。僕らもそんな集団の一つです。

 

TVの大相撲中継などで見かける国技館の客席。でも、あの会場のどこに応援団は陣取るのか? 実は2階アリーナ席です。これは20m程の高さに、土俵の四周を取り巻くような形で設置されています。大会の数日前、応援団が参加する大学のみで 団長会議 が行われ、席の割振りが決定されます。毎年ほぼ同じ場所でしたので、お互いに揉めたり 場所に迷うことはありません。一般客は2階への立入が禁止されており、完全に応援団専用のスペースとなります。僕の記憶と手帳を頼りに、当時の参加応援団を振り返ってみましょう。勘違いがあったらごめんなさい。

 

専修、農大、国士舘、中央、日体、明治、立教、法政、早稲田、慶應、東大、筑波、防衛、大東文化、日大( 体育会代表の方々)、拓大( OB有志 )

 

開会式が始まり、一斉に団旗が掲げられます。そして厳かな君が代の前奏を背に、全校が旗礼を見せた時の静粛。その先端はいずれも土俵を指向します。これだけの数が揃うと、団旗群と学ラン集団の姿は本当に壮観なものがありました。力強く、美しい光景でした。…やがて演奏が終わり、それぞれの団旗は元の垂直状態へ。時間にすれば僅か1分程の出来事ですが、国技たる競技の幕開けに相応しい時間でした。

よくぞ日本男児に…よくぞ応援男児に生まれたりの感慨で、僕はまんぷく状態。この様子だけで何ページ費やしても足りない程の感激です。

旗手のみなさんには申し訳ないけど、ずっと旗礼状態のままでいたい様な気持ちさえ感じました。前練習で開会式を繰り返し行ったことも、ようやく理解できました。後年になって他大学の同期たちと、この感動話で盛り上がったものです。言葉には出さなくても、みんな考えることは一緒なんだなと。

 

これに匹敵する大学応援団の集結規模では箱根駅伝が挙げられますが、各校離ればなれに位置しています。実戦の場で一望の下に揃うという意味では、本大会が最大かもしれません。

例によって余談ですが 昭和30~40年代には、この機会を利用した応援団コンクールが行われていたようです。僕らの団室には当時の表彰状が幾つも飾られていました。相撲を見ずして応援団を審査する心境や、審査の基準が気になります。

 

 

下級生はつらいよ 

開会式の感動もここまで…僕らは哀しき下級生。団旗降納後は、すぐにいつものピリピリ状態がやって来ます。両国駅からここへ来る間にも、同期と二人で全員分の弁当を買いに走るという涙ぐましい舞台裏があったりします。

早朝から営業している弁当屋さんがなかなか見つからず、半泣きで奔走したのは苦い思い出です。『 開いているお店が御座居ませんでした 』 では済まされません。コンビニ弁当はNGという条件もハードルを上げた要因でした。先輩方の食に対する嗜好も様々なため、ハンバーグ、焼き魚、からあげ等、バリエーションを広げて購入するのも、センスの見せ所です。

翌年は後輩たちに買いに行かせましたが、割り箸が全く入っておらず副団長が大噴火。僕の指導の甘さを露呈しました。結局は国技館内の売店のおばちゃんに分けて頂き、急場をしのぎました。それもまた青春の一コマ。

 

だいぶ脱線しちゃいました。でも応援団には感動、理不尽、今だから笑える思い出がいっぱい。あの日集まった大学の一つ一つにも、それぞれの物語があったはずです。

 

…試合が始まります。前練習の成果を発揮する時は迫っていました。