應援團戦記

大学応援団の日々を綴るブログ…あなたの大切な思い出は何ですか?

打倒日大  - 相撲応援 3 -

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応援団の激突

開会式を終えると、18時まで続く長丁場が始まる。

午前中は個人戦。午後は5名1組の団体戦が行われます。

試合中はエール交換後に、双方の応援団が同時に応援を展開。リーダー部だけの応援は、団としての地力が求められる。応援団 vs 応援団 の気迫のぶつかり合いが始まります。

 

まず個人戦が行われ、我々にも出陣の時が訪れました。

我が校の一番手は、学生横綱のタイトルホルダー。応援時間はわずか4秒程。

個人戦では一戦終える毎に、団旗回収 → 待機 を繰り返します。待機時間が圧倒的に長い。30秒応援して、10分以上待機といった調子。けれど気は抜けない周囲には多くの他大応援団がひしめき合っているから。

 

そんな緊張の真っ只中でも、他大応援団の様子は気になる。こんな機会は滅多にない。東都系 六大系 の応援の差異が目に付きます。折り目正しい統制重視の東都、そして多少の形は気にせず気合い重視の六大。

応援団コンクール華やかなりし頃は、さぞ審査員もやり甲斐があったことでしょう。

 

 

 

 宿敵 日本大学 

相撲応援が熱くなるのは、やはり団体戦。それは学生相撲の花。個人戦と異なり、先鋒~大将まで5戦連続の応援形式に変わります。

 

現役当時、最強軍団として君臨していたのが 日本大学 でした。だからみんな同じことを考える。トーナメント初戦では当たりたくないと。我が校は例年2位か3位。全国トップクラスとは言え、敗れる相手はいつも日大だった。

そんな僕らが国技館で必ず行うリーダーがありました。その名は『 打倒日大 』

 

まだ娯楽の少なかった半世紀前、世の人気を博したのが学生野球、相撲、箱根駅伝といった学生競技。日大と我が校は様々な種目でしのぎを削っていました。

特に東都大学野球リーグの 中日戦( 中央 × 日大 )早慶戦に劣らぬ人気を博した時期もあったと言う。

『 打倒日大 』はそんな時代に生まれ、大一番で日大を迎え撃つためのリーダーだった。

 

大会に目を戻すと、我が校はトーナメント決勝戦へ。

対戦カードはもちろん vs 日大。ちなみに強化練習の想定戦では、1回戦から準決勝までは適当な他大学の名前で模擬エール交換。しかし 模擬決勝戦の相手は必ず 日大 と決まっていました。

究極的には 常勝日大の牙城を崩し、相撲部を優勝させるため の強化練習だったと言えるかもしれません。

 

勝戦を迎え、静まり返る国技館…そして戦端は開かれました。待ち侘びたかの如く、我が団からも打倒日大の矢が放たれます。遂にここまで来たか…と。

幾度も練習を重ねた宿敵との決勝戦。その光景が目の前に広がっていました。

 

5名勝負の一戦一戦が非常に長く感じられる。しかし我が方の先鋒、二陣が立続けに倒されてしまう …

3人目の中堅も接戦の末敗れ、大勢は決しました。残り2名が連勝しても、勝敗は変わらない。あるのはただ相撲部の奮戦への応援でした。

悲願の優勝は遠かった。試合後に、普段は聞き馴れない幹部のかすれ声を耳にしました。

 

 

 

 祭りのあと 

大会を終えた僕ら下級生は、夜遅く団室にたどり着きました。

誰もいない休日夜の大学構内。宵闇と静寂の中で荷物を抱えて進む自分たち。僕らを出迎えてくれたのは所々にある自販機の灯りだけ。この哀愁は経験した者にしか分からないでしょう。

 

解散の帰り際、2年の先輩に

 どうだ、強化練習から今日まで辛かったかだろう?』

と訊かれました。僕は強がりを言うのは好きじゃない。だから正直に、しんどかったと答えました。それを確認した先輩は、うんうんと頷いていた。

そして お世辞にも綺麗とは言えない学ランのポケットから、そっと缶コーヒーを差し出してくれた。「 次も頼むぞ 」と言い残して。

* 缶コーヒーは大事に持ち帰って冷蔵庫に保管していましたが、僕の姉に飲まれてしまった。

 

深夜1時過ぎに帰宅。僕はおフロにも入らずふとんの中へ。気持ちの高ぶりまで持ち帰ってきたのか、なかなか寝付けない。目をつぶると、いつまでも国技館の歓声やエールが聞こえてくる気がしました。

…長かった相撲部応援がようやく終わろうとしていました。