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應援團戦記

大学応援団の日々を綴るブログ…あなたの大切な思い出は何ですか?

志願は揺るがず

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 応援団への憧れ 

時はさかのぼって平成 某年4月5日、僕は大学の入学式を迎えた。

学内には桜が咲き乱れ、踏みしめる先々に花びらが溢れていた。鮮やか過ぎるくらいの青空で、本当に気持ちのいい日だった。天気とは裏腹に、僕はぎこちないスーツにネクタイ、履き慣れない新品の革靴。何だか落ち着かない。つい1週間前まで高校生だったことが嘘のようだ。

長い長い入学式と簡単な説明会がようやく終わった。講義シラバスや手荷物いっぱいで校舎から出てくる新入生に、名前も知らない無数の先輩たちがサークルの勧誘チラシを押し付けてくる。僕も歩きながら結構な数を渡された。でも何の興味も持てなかった。僕には入りたい団体があったからだ。応援団である。

 

高校時代、クラスメートが応援団に入っていた。暑い日も寒い日も懸命に頑張る姿に感動し、僕は彼らに憧れた「 俺も大学に入ったら必ず応援団へ… 」と受験勉強をしながらも心中期するものがあったのだ。だから応援団の無い大学は受験しなかった。このことについてはいつか章を改めます( 追加→ 別章リンク 

 

 

入学シーズンの部活やサークルは、 ” 出店 ” と呼ばれる即席のブースを構内に作り、新人勧誘を行う。学生生活を謳歌した者なら、馴染みのある言葉だろう

応援団の出店は大学で一番目立つ場所に置かれていた。ところが新入生の賑わいをよそに閑散としている。見ればガタイのいい髭面&色眼鏡の学ラン君が居座っており、食い入るようにスポーツ新聞を読みふけっている。上級生のにおいがぷんぷん。こんな雰囲気じゃ誰も怖がって来ないぞと思うが、その周囲には10名程のチアリーダーも談笑している。…かわいい♪ ひょっとしたら、僕が想像するよりも 穏やかな組織かもしれないと思えた。少し気を許して恐る恐る出店に近付くと、学ラン君が不意に胸ポケットから煙草を出した。

 

その時だった。近くで勧誘していたらしい後輩2人が猛然と駆け寄り、持っていたマッチに着火。先輩の口元に火を差し延べたではないか。しかも何事かを大声で叫びながら…。

僕は一連のことに呆気にとられてしまった。そして思った。

「 これはやヴァい 」

情けない話だが、間近で見るとやっぱり怖かった。結局 僕はびびって帰宅。その夜、ふとんの中でずっと悩み続けた。憧れて憧れて、不退転の覚悟で入学したのではなかったかと。翌日になってようやく意を決し、出店に足を運ぶことが出来た。

 

例の上級生は3年生だった。彼の話では毎年の入団者は4~5名。今年は君が第1号だよ、なんて笑顔交じりで喜んでくれた。気さくな人に思えた。2年生たちも、神宮や箱根駅伝の感動話を映画のように熱く語ってくれた。挙句、チアの先輩数名が僕の両手を握り、「 自分から入るなんてエラい! 私達と一緒に頑張ろうね♪ 」と思わせぶり攻撃。魔性ついでに写真まで撮ってくれる始末。奥手の僕はいろんな意味でコチコチ。もはや迷いはない。かくして僕はその日の内に入団届を提出したのだった。

 

 

 両親の思い 

家に帰って両親に報告すると、父は「 ヤ〇ザ予備軍の応援団なんてすぐに辞めるんじゃないのか?」と一言。

高校からの僕の意志を知っていた母は、「 しっかりやりなさい 」とだけ言ってくれた。こんな時、案外女性の方がしっかりしているんだなぁと、変に関心したことを覚えている。

 

父の言葉にも無理からぬ理由があった。1960~70年代に全国の大学で右派・左派 両学生が衝突した時代があった。各大学はしばしば応援団や体育会を 、" 左派鎮圧部隊 " として用いた。僕の大学でもそんな過去が度々あったと年輩の職員の方から聞いたことがある。学生運動激しき折に大学で学んだ父は、当時そのままの応援団のイメージから脱し切れなかったようだ。

 

翌日、入学3日目。

僕はつい最近まで着ていた高校の制服を引っ張り出して大学へ向かった。偶然にも基礎ゼミの担当教官だったI教授は 東大 応援部OB 。きっと何かの縁かもしれない。先生は1年ぽっくりの僕を、事あるごとに励ましてくれた。出来の悪い僕に無条件で成績 “ A ” をくれたことも忘れられない。

 

こうして、憧れてやまなかった大学応援団の第一歩が始まった。

リーダー部は全学年で14名。僕もその名を連ねたのだった。