應援團戦記

大学応援団の日々を綴るブログ…あなたの大切な思い出は何ですか?

誇り高き東都

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 * 我が神宮第二球場。1塁側の1階スタンド最後方の柱の一つに、忘れられない落書きがあった。国士舘高校野球部の副団長〇〇くん、一生懸命で素敵です 』と。そこはちょうど試合前の整列場所。動機はどうであれ応援団を見守る人もいる…いつもそんな気持ちにしてくれる言葉でした。

 

 六大 vs 東都 

神宮球場の春と秋、毎週土・日 は多くの人で賑わう。東京六大学野球リーグ 戦( 早稲田・慶應義塾・明治・立教・法政・東大 )が行われるからだ。大学の名誉をかけた試合は、1925年のリーグ設立より1世紀近くにわたって観衆を魅了してきた。 東京六大学応援団連盟 との関係は言う間でもない。

伝統のユニフォーム、変わらぬ校歌と応援団、そして何よりも数々の名選手と好勝負。六大学野球はそのまま大学の付加価値に変わり、次代への伝統を強固なものにするのだろう。

 

だがそれを苦々しく、疎ましく、そして羨ましく見つめる一団があった。東都大学野球リーグ の加盟大学と、靡下応援団の僕らだ。

我らが東都大学リーグは1931年発足。伝統は十分。全日本大学野球選手権・明治神宮野球大会での実績は、東京六大学を凌駕します。我が校も発足当初からの加盟校。六大と同様、戦後間もなく東都大学応援団連盟( 日大・農大・専修・國學院・駒澤・中央 )も生まれ、現在の 全日本学生応援団連盟 の前身となります。

リーグは4部制。特に1・2部間の入替えは熾烈です。応援団の僕たちから見ても、シーズン初頭の緊張感は独特のものがありました。“ 戦国東都 ” の異名は決して伊達じゃない。

 

実力を誇る東都ですが、平日開催。その足枷は致命的で、観客は圧倒的に少ない。

現役当時の我が校は丸10年に及ぶ 東都2部。野球部と応援団にとって艱難辛苦の時代でした。

僕はこのブログで “ 神宮球場 ” と書かず、“ 神宮 ” と記してきた。その理由は 神宮第二球場が僕らの主戦場だったから。詐欺みたいですよね。『 野球よりも箱根駅伝 』。それが大学の方針でした。

 

 

哀愁の東都2部 

僕ら東都2部リーグの試合は、毎週 月・火 の神宮第二球場。フィールドから至近距離のスタンドは臨場感満点だが、 楽器厳禁 & 試合時間が第二球場のゴルフ場の営業時間にも左右されるという始末。

太鼓のみ校歌斉唱時に許可されます。しかしフルスイングでぶっ叩く事は許されない。

少しでも大きく音が響こうものなら、近所の 國學院高校 から音速で苦情の電話 → 翌日から数試合の太鼓禁止 と相成ります。

 

都市伝説じみたこの話は、東都2部の大学応援団の間では有名でした。東都1部や六大( 第3戦となれば月曜も試合 )の方がよほど派手にやっているのですが…苦情の震源地が加盟大学の附属高校だったことも、笑えない話です。

 

団長を務めた年の春季、降格した東洋大学が2部リーグへ来ました。大所帯のブラスを引き連れて…

東洋大の応援指導部主将と僕とは初対面。

『 他の大学応援団の事情もあるから、演奏は遠慮してくれないか 』と丁寧に経緯を説明したものの、

『 鳴り物禁止を知らずに連れてきちゃったし、実際はそんな深刻じゃないんでしょ… 』 みたいな返事。

2部常連の君たちはカタいなぁ♪ そんな口調です。面白いはずもありませんでしたが、心密かにこいつは見ものだと思いました。案の定 翌日からの彼らも、古式ゆかしき応援方法に。もちろん僕らの太鼓もNG。

楽器の持ち込みを出入口で止めない、球場のいい加減な対応にも呆れてしまいます。東洋大の彼にだってメンツがあったでしょう。他大に言われて『 はい、そうですね 』と諾する事は、酷な要求だったかもしれません。

 

 

 そして商魂果てしなく 

球場の対応ついでにもう一つ記憶を辿ると…どうしても休めない講義やテストがあれば、東都の僕らは試合半ばで応援に合流しなければならない。そんな日には、入口で入場料を請求されることがありました。応援団員だと説明しても 試合前に野球部・応援団と帯同しない場合は 、学生証を提示して学生料金を… 』の一点張り。

平日の真っ昼間、学ランで試合途中の第二球場に来る人種が 応援団以外にいるとでも言うのか。納得いかぬまま、泣く泣く支払いに応じたこと幾度。

 

観客数に目を転じれば、2部リーグは大抵15名前後。でも入替え戦進出をかけた一戦だけは、そこそこの人数が集まる。目の肥えた大学野球ファンは意外に多い。そして “ 本物の神宮球場 ” からビールの売り子さんが参戦。球場はなかなかのビジネス感覚を有していました。

 

 

我々の意地を見よ 

夢見た応援団 ≒ 六大学風味の華やかさ ということに、愕然となる東都2部だったかもしれない。ですが そんな第二球場の僕らだったからこそ、憧れの神宮球場を本気で追いかけてきたことも事実です。明確な目標とハングリーな状況は、僕らの存在意義そのものだったから。

在学中、母校は一度だけ入替え戦に臨みました。大勢の一般学生と歌った校歌の美しさは、今も忘れられない。

 

神宮球場での団旗を許されることは、決して当り前のことなんかじゃない。実力度外視で聖地を占有できる大学には、絶対に負けたくなかった。我ら東都の熱き魂、君たちには分かるまい。

もちろん六大学のことです。٩(๑`н´๑)۶.。oஇ ごめんなさい。

 

 

■ この小文を亡き祖父 松島 栄治に奉ぐ。2016.9.14 ■