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應援團戦記

大学応援団の日々を綴るブログ…あなたの大切な思い出は何ですか?

雑用二十四時

 

 知られざる奮闘 

応援団に入ってからというもの、周囲からよく訊かれることがあった。

「 エンダンって雑用を一日中やらされて、自分の時間なんてないんじゃないの? 」と。

日々の練習や、試合での応援活動は一般学生の方も想像できるでしょう。でもそれ以外多くの時間、団室に詰めていたり雑用に走り回ることが多かったのも事実です。

代表的なものを挙げてみましょう。

 

 

電 話 番 

大学内での団生活において、最も大きな比重を占める雑用です。電話番には、10:00~18:00 という営業時間のようなものが設定されていました。授業時間1コマごとに合わせて当番を決め、 団室での “ 電話当番時間割り表 ” が作られます。その間は各時間帯の当番が、黒電話 の置かれた机にコバンザメの如く張り付き、団室電話の全責任を負います。時間外は下級生で適宜行います。

この電話は、外線発信ができない(外線着信はOK) & 留守電機能もない という前時代精神を体現した代物。平成の御世においてなお、ダイヤル式黒電話が僕らの通信の中枢に君臨していたのです。

 

電話の受け答えには特有のルールがあります。必ず着信2コール目の直後で受話器を上げることに始まり、言葉遣い・切り方に至るまで厳格に定められていました。引継ぎノートへの記録方法や文体にも決まりがあり、思い出せば尽きる事を知りません。監督やOBからの電話は非常に緊張します。一言一句正確に…と冷や汗を流しながら書き残したものです。

また1限の当番は、朝の幹部室清掃も徹底的にやらなければなりません。事実、幹部室は年間を通して床に塵一つなく、男所帯とは思えない程に整頓された状態でした。

当番中に幹部が在室していれば、使いっぱしり( いわゆる 焼きそばパン買ってきてよ みたいなやつ)も頻繁にこなします。小間使い + 大学事務局との書類の受け渡し + 幹部の急な外出時の御付き …etc 電話番の任務は多岐に渡り、時にスマートな振舞いが要求されます。普段は電話番として待機、下命あらばいつでも『 行って来いッ!』と発射ボタンを押される宿命なのです。上級生たちには非常に重宝される雑用です。

 

1年生の人数が多ければ、個々の電話番負担は軽くなります。入団時の同期は全4名。そこから櫛の歯が欠けるように減り、秋には僕だけとなってしまいました。さすがにその状態では手に負えず、2年生も役目を買って出てくれました。1年当時の木曜日を例にすれば、僕は1限のみしか授業を入れておらず、残り4コマは練習と電話番といった感じでした。

 

 

郵便物の宛名書きと発送 

多くの大学応援団では、まめに郵便物を発送します。僕らも、春・夏季強化合宿や学生相撲選手権、野球リーグ戦の開幕、箱根駅伝の応援案内等を、OB・OG全員へ送っていました。当然膨大な量にのぼります。各行事が終わればその報告通知と御礼状も。暑中見舞いや年賀状、幹部交代通知は卒業生のみならず、全国70校程の応援団にも送っていました。

 

大学生協の印刷所へ原稿を持ち込む → 1枚ずつ団長印を押す → 決められた方法で折る → 封筒1通ずつ指定の万年筆で宛名を手書き → 書面を封筒へ入れて糊付け → 糊付け部分に割り印を押す → その全部に切手を貼り…乾くのを待ってまとめて投函!

 

手書き文字の善し悪しや、ハンコ・切手の歪みも神経質すぎるくらい注意されました。宛名書き一つにしても、気の遠くなるような作業量です。現役生にとって伝説的なOBや、危険と思われるOBには、上級生がバカ丁寧に封書の仕上がりを確認したものです。期限に間に合いそうもない時は、必然的に講義を休まざるを得ない。どうしようもない時は自作の公欠届をこっそり作成( 材料は揃ってるし…)。架空の団活動で教授陣に泣きを入れたりしました。さすがに「 宛名書きやってました 」とは言えませんから…。

 

 

 団旗や太鼓の手入れ 

規律と並び、機材は団の至宝。手入れは欠かせません。特に団旗のポールは、金属部分や先端( 貫頭 カントー と呼んでいました )を研磨剤でぴかぴかに磨き上げます。研磨剤は ピカール と言った方が分かる方が多いかもしれません。黒く塗装された木製部分も指紋一つなく、からぶきを施します。これは試合の前後に必ず行っていました。ピカールで変色した雑巾や指先に残る独特のにおい、そして容器の絵柄…。この記事を書きながら鮮明によみがえってきます。

電話番をしながら磨き作業をしている時に限って着信が多く、遅々として手入れが進まなかったことも日常茶飯事でした。

 

 

 惨めじゃないよ 

どんなに雑用が多くても、当時はそれが当たり前だと思っていました。何かを任せてもらえることも嬉しかった。なので、とりたてて自分が悲惨だと思うこともありませんでした。そう感じるだけの余裕がなかっただけかもしれませんが…。むしろ周囲から可哀そうと言われることの方が、僕には惨めだったような気がします。

社会人になって久しい今でも、僕の電話応対は ほぼ当時そのまま。もちろん大声ではやりません♪ 

何気ない毎日…誰かのスマホ着信音や、昔のTVドラマで旧式の黒電話の音が 不意に僕の耳を驚かすことがあります。そんな時は当番をしていた頃の緊張が一瞬で呼び覚まされます。

 

僕のDNAに刻まれた 青春の音なのです。